jus gentium

国際法を中心とした法学勉強ブログです。

国際法の歴史

 

1.近代国際社会と国際法の形成

(1)近代主権国家の成立

国際法と呼ばれる法体系は、中世ヨーロッパのキリスト教的統一世界が崩壊し近代の主権国家体制の成立をみるとともに、国家間の関係を規律する法として発展を遂げる。

・とりわけ、1648年のウェストファリア条約は、ヨーロッパの主権国家体制を明確に承認し、国家の独立と平等を基本理念とする近代国際社会の成立をもたらした。

Cf.三十年戦争(1618年のベーメンの反乱を発端としドイツのキリスト教新旧両派の対立から、ヨーロッパの大国を巻き込む国際的な戦争へ拡大した。)

古代ギリシャ都市国家間において今日の条約や慣習国際法に類する規範が存在していたが、長い中世の時代を隔てており、近代国際法の発展と直接的な連続を有しているわけではない。

(2)国際法創始者

国際法は、諸国家の実践的行動と学者の理論的体系化の相互作用として発展してきた。

・とりわけ、諸先達の業績を集大成する形で国際法の体系化を試みた「国際法の父」といわれるグロティウス(H. Groutius, 1583-1645)の著した「戦争と平和の法」は重大な影響を与えた。

2.19世紀の国際環境

 ・近代国際法は、19世紀に入って新たな展開を遂げた。第1次世界大戦までにいたる新旧勢力の台頭・衰退により国際政治に大きな変動をもたらした。

Cf.クリミア戦争(1853~56年、南下政策を推進するロシアのギリシア正教徒への保護権(聖地管理権問題)を口実にオスマン帝国に宣戦し、イギリス、フランス及びサルデーニャオスマン帝国を支援し列強間の戦いとなった。)

  普墺戦争(1866、ドイツ統一の主導権を巡りプロイセンオーストリアの間で行われた戦争)

  普仏戦争(1870~71、ドイツ統一を目指すプロイセンとそれを妨害するフランスとの間の戦争)

  第2次露土戦争(1877~78、1875年に発生したボスニア・ヘルツェゴビナのスラブ系民族の反乱を機にこれを支援するロシアがトルコと行った戦争)

産業革命による機械工業の発達と交通・通信手段の発達による人や物の国際的交流の飛躍的増大は国際法のめざましい発展を促す一因となった。

(1)国際法の実定法化の進展

 ・国際法学の方法論や国家慣行や慣例、判例等を重視する法実証主義が主流となり、国際法の規範内容が一段と客観性と一般性を有するものとなり、実定法規範としての性格を強化していった。

(2)国際法の妥当領域の拡大

国際法の適用範囲はいぜんとしてキリスト教文化圏に限られていたが、19世紀中頃になると、妥当領域は非キリスト教国に拡大した。

(3)国際法の規律内容の拡充

産業革命による国際貿易を始めとする国際的交流の飛躍的増大は、1)この交流を円滑に進めるための様々な種類の国際条約の締結、2)多数の国による共通目的の実現のための国際機構の設立、3)紛争処理手段としての国際仲裁裁判の発展をもたらした。

(4)戦争法の展開

・19世紀には戦争を自己の権利救済の最終手段としてのみ認められるとする立場と、このような限定を斥ける立場とが混在していた。

3.現代国際法の発展状況

(1)武力不行使原則

・第1次世界大戦まで有力視された戦争容認論は大幅に見直し、否定されることにより戦争の違法化が図られた。

・第2次世界大戦後の国連憲章はこの発展をさらに促進し、「戦争」だけでなく「武力による威嚇又は武力の行使」を一般的に禁止した。

(2)人権保障の国際化

・これまで人権の保護は一般に各国の国内問題として取り扱われてきた。大戦を経て、人権の保護と平和の維持との密接な関連性が改めて認識され、国連憲章は人権と基本的自由の尊重を国連の目的に据え、その後様々な条約が採択され、広範な人権保障の国際化が図られている。

(3)植民地の独立

・第2次世界大戦以前、広大なアジア・アフリカ地域は長年植民地支配下にあった。国連憲章は「人民の同権及び自決の原則」を確認した。

・新興諸国は独立と同時に国際法の適用を受ける主体となったが、無批判的にすべてを受容せず、国際法は大きな変革を迫られた。

(4)国際法の新領域の発展

現代社会における科学技術の高度化は深海底制度の創設や航空や宇宙空間に関する国際法の発展をもたらした。